2020年1月15日水曜日

放す2巻発売記念.①:放課後すとりっぷが大衆に読み込まれなかった理由

 こんにちは。

HN.天草硝子というものです。
普段はツイッター( https://mobile.twitter.com/SpiraLmeyby )にて色々垂れ流しています。




こんな未来が、あったとしたら……




まんがタイムきららにて連載されていた、若鶏にこみ先生「放課後すとりっぷ」が、昨年119日発売の12月号をもって完結しました。

 まんがタイムきらら2017年10月号のゲスト掲載を経て、2018年1月号から連載開始。

そこから現在まで、全26話を駆け抜けました。
連載期間は約2年間。若鶏にこみ先生、本当にお疲れさまでした。


 筆者の私は、2018年12月26日に発売した単行本第1巻を手に取って初めて読んでから、鬼のようにハマり、
 何度か考察記事を書くほどまで読み込んでいき、
 様々な感情をこの漫画から受け取りました。

 2019年、私にとって一番入り浸ったコンテンツと言い切っていいほどでしょう。




 今月127日に、放課後すとりっぷの最終巻となる第2巻が発売されます。
 きらら、というメディアから放課後すとりっぷの情報が提供されるのもこの2巻発売によって完全に終了することになります。(いや、本来ならね(寧ろ終わらないでくれ))
 放課後すとりっぷに関する様々な考察も、この2巻発売によって最後の答え合わせが行われることになります。

しかし、まだ2巻が発売していない今だからこそ積み重ねられる考察があるわけです。



というわけで、放課後すとりっぷ第2巻発売時期となった今、(やっと)いくつか記事を作成することにしました。
一ファンである私が、未練が残らないように頭を振り絞って記している内容となっています。



というわけで、最初のテーマがこちら。




・放課後すとりっぷが大衆に読み込まれなかった理由



 です。



 さて、KRコミックスでは
 「連載が続き単行本1巻が発売されたが、その単行本の売り上げが芳しくない等の理由で、2巻に収録される分量で完結する」
 という例が数多く存在します。


これらは俗に『2巻乙』と言われています。この作品もその1例となってしまいました。




 この2巻乙を回避する作品には、何かしら『大衆に魅了される要素』がほぼ必ずあるわけなのです。
 多くの作品を区別する基準に2巻乙を使いたいわけではないですが……


そんなの今まで2巻乙した作品とか2巻乙寸前の作品もどれも魅力だろうが!!と思うのは当然です。


しかし、普段漫画を読んでいる方ならば、2巻乙したものに限らず、今まで読んできた作品の中で「この作品はあまりピンときてないな……」と、一読者としてあまり琴線に触れなかった作品も多いのではないのでしょうか。




その作品にあるキャラクター、ストーリー、4コマ構成の表現。
また、その作者さん自体。
さらには表紙のデザインなど。
様々な要素がその作品の『魅了される要素』となりえます。


そうして魅了された人が多ければ多いほど、多くの方が単行本を手に取ります。
熱狂的なファンとなった人が、書店別の特典を目当てなどに複数購入することもあります。




即ち、2巻乙を回避し作品を長期間連載させるには多くのファンを獲得が必要であり、
多くのファンを獲得するには『大衆に魅了される要素』が必要であるわけです。





本題から逸れましたが、
私は放課後すとりっぷに大変魅了されました。心奪われました。


最終回も含め(というか最終回があの内容だったからこそ)、ストーリー全体については非ッ常~~に満足しています。
満足していますが、放課後すとりっぷの世界をもっと見ていたかった一人として、2巻で完結になってしまったのは正直とても悔しいです。

魅了された一人として、この世界の魅力をもっともっと発信していけば世界が変えられたのかもしれない……と考えるのは大言壮語ですね。





そこで、「何故放課後すとりっぷは大衆に受けなかったのか」を考えて結論付けようとしたのが今回の記事になります。



 
 【注】放課後すとりっぷ2巻範囲内のネタバレがありますので、まだ読んでない方は注意をば。

 というか内容知らないならまだ読まないで!!!2巻読んだ後にまた来て!!!







さて、
放課後すとりっぷが大衆に受けなかった理由とは……?


結論から言うと、
『放課後すとりっぷのすれ違い劇は、掲載誌「まんがタイムきらら」との相性が悪かった』
という所が第一に挙げられます。






放課後すとりっぷを評価する上で外せない要素である『すれ違い劇』。この作品の肝となっています。



若鶏にこみ先生が自身のブログで、放課後すとりっぷの『すれ違い劇』について

『最後以外は全部「どこか上手に行き過ぎない」を意識していて、その結果が…地獄のようなすれ違い劇になってしまったのでした。』

と記しています。



放課後すとりっぷにおける『すれ違い劇』は、起きたすれ違いを淡々と消費していくものではなく、最初から最後まで一本筋にストーリーと関わっていきます。

その回で起きたすれ違いが、次回以降もそのキャラに継続されていく。

その名の通り「地獄のようなすれ違い劇」から生み出される、話の噛み合わない具合の面白さや、先の読めない展開への期待。

そういったところが、すれ違い劇の見どころになっていると思います。



ですが、すれ違い劇には「一目見るだけでは状況をつかみづらい」という欠点があります。

すれ違い劇を楽しむためには、無意識のうちに

『会話する人物の特徴』

『どういう状況であるか』
『誰が誰の何を誤解しているか』

を理解することが前提となっている、と考えられます。





すれ違い劇で有名な「アンジャッシュネタ」も、アンジャッシュの2人が最初に世界観,状況を作り出した上でネタが繰り出されています。


 放課後すとりっぷでもそのように、
 最初は『放課後の空間』という世界観を確立させ、
 話数を積み重ねていくうえでより構成されていき、
 4話になってようやく

「デッサン活動のことを指した『カラダの関係』を、六花(と他の客)は言葉通りの意味で受け止めてしまった」

というすれ違いネタが生まれました。



この六花の勘違いは1112話に引き継がれており、その後も解決することはなく、やがて放課後の活動の存続の危機に繋がるにまで発展しました。

4話から追い続けて状況を理解している読者ならば
「七瀬六花はまだ勘違いしてるんかよ!w」
とネタが続いているところに面白さを感じるでしょう。私がそうでした。

5話の「あかねと六花の存在を、林檎は間違えて逆に覚えてしまった」ところも最終話近くまで勘違いが継続されており、
物語の着地点にどう処理してくるかが気になっていたりもしていました。





しかし、この『すれ違い劇』を軸にしたストーリー構成が、「状況に追いつきにくい」という問題点に絡んできます。



 放課後すとりっぷのすれ違い劇を一番楽しめるのは、1話から追っていたり単行本1巻を購読してから追いついたりして、物語の全貌を把握してきた読者だと思っています。



 では、連載途中から読み始めた読者は、『すれ違い劇の途中』を見てどう思うでしょうか。


  “このキャラの言っていることが分からん、
 これは前の回に言ったことなのかな?
 あれでもこのキャラは違うこと言ってるしな…
 あれ、いつの間にか和解してる……
 う~ん、分からん。おっぱいでかいな。乳輪危ないいぞ。”



といった風に、『物語の全貌を知らないために、すれ違いネタが理解できない,楽しめない』ことになってしまうでしょう。



 

例として、
『すれ違いを起こしている状況』を作中で顕著に表している22話(きらら20198月号)を、
「初めて読む場合、分からないところ」を挙げていきましょう。

(以下、去年816日に私が投稿した記事から引用。
 暇があったらそっちも見てね!



・林檎をストーキングしていた六花がイチカに見つかり、「ああ…先輩だったんですね…でしたら一安心です」と話す

“なぜこの先輩は林檎をストーキングしていたのか?”



・ストーカーしていた六花も困惑するなか、イチカは六花を林檎に会わせる。「件のストーキング事件の犯人です」と言い、先に教室に戻ったイチカ。取り残された二人の間に緊張感走る

“林檎はストーキングされていることを知ってたのか。
 この2人に面識はないのか。
 じゃあお互いどういう立場なんだ?”



・六花が「良くない活動をしていそうだったから……」「話を聞く限り そういうやつとは思えなかった……」と気を和らげて言うなか、林檎は顔を歪めて「うたがいはほんとうです」と告白する

“何の疑いがかけられてるんだろう?”



・林檎は『やましいこと』を禁ずるように六花に釘を刺される。「もうしません!ほんとうにしません!」

“あかね、って誰だ、この先輩の知り合いか。
 結局やましいことってなんやねん。”



・六花が『秋映あかね』の名を口にすると、林檎が「!?!」と反応する。「一度しか会った事ない……です」と返すが、林檎は正面の『七瀬さん』の顔をみて「秋映さんにかおが…… よく似ている気が……」と思い込む。

“あかね、は同級生なのね。
 林檎はどうした?
 秋映さん…この人を思い浮かべてるな。
 この先輩は秋映さんじゃないよね?勘違いしてるの?“



・六花はあかねについて「一番仲が良いと…昔は思っていた……っていうか」と語る。林檎は「すごく、私の記憶の秋映さんに……七瀬さんがよく似ているような……」「寧ろほぼ本人なのですが」と伝えるも、「は?」「そんなわけないですよ」と一蹴される。

“やっぱりすれ違いを起こしているっぽいな。
 林檎はこの先輩のことを「秋映さん」として見たことがあるのかね。
 六花とあかねはどういう関係なんだろう?”



・記憶に残っているあの時(5話)に秋映さんにされたことを思い出し、林檎は七瀬六花に「一度私を抱きしめていただいてもいいでしょうか」と真剣な赴きでお願いする。「はい?」と怪訝な表情で返事される。

“あの時…以前にもこの2人は会ってたのかな?”



「なんでそんな淫乱な子を抱きしめるなどという 分かりきったトラップを用意するんだ!」「いや!ちょっと待って下さい本当に! 一度秋映さんに抱きしめられた事があって」「はあ!?!?」「キレないで!!!」

“すれ違いを起こしているのはわかる。
 だけど誰が誰の何を誤解しているかを知らんから展開が全く分からん!
 情報が全く追いつかない!”



…このように、
作中では「とうとう六花と林檎が再開する」という重要な局面になりますが、
以前までの内容を知らない読者には何が起きているのか分からず置いてけぼりになってしまうのです。





また特に、上記の回が載っているきららが発売開始したのは79日、
COMIC FUZの読み放題プランのサイマル配信(販売日の0:00からアプリ、ネットで閲覧可能)が開始したのは81日。


以下、COMIC FUZサイマル配信決定のツイート



 つまり、サイマル配信初のきらら無印最新号が、上記の回が載っているきらら8月号となるわけです。


今まで他紙しか購読していなかったり、FUZからきららに初めて触れるという読者もいるでしょうから、きらら無印を初めて読む方もまあまあいると思われます。



そういった方が初めて読んだ放課後すとりっぷが、このすれ違いが複雑に入り組んだ回だったら…?

それこそ、置いてけぼりになってしまうでしょう。



実際、私がネット上で放課後すとりっぷの感想をサーチしていたところ、「よくわからない」という意見がちらほら見られました。

これは、すれ違いの状況に追いつけず理解できないという最たる感想の例だと思います。
そのまんま言葉の意味、「よくわからない」と簡素に解釈してしまうのです。





じゃあ状況をしっかりと理解するためにも、単行本を買って最初から読もう!
とする場合。

単行本1巻範囲内で物語に大きく関わっているすれ違いは大体説明されますが、それでも完全には追いつくことができません。



単行本1巻で収録されているのはきらら201811月号の第13話まで。
例えば上記のように20198月号の第22話からきららを読み始めた場合、単行本から8話分のブランクがあるわけです。

それを埋めるためには、14話~21話が収録されているきららを読む環境が必要です。


COMIC FUZならば2019年発売のきらら2月号から電子書籍として購入することができますが、読み放題プランから追加で料金が必要になります。

しかもその2月号に掲載されているのは16話から。
14,15話を読むには、きらら201812月号、20191月号をAmazon等の通販サイトや中古の本屋で探すか、国会図書館から研究資料として借りて複写してもらうしかありません。



初めて読んで「よくわからない」と思った読者が、このようにお金や労力が必要な過程を通るでしょうか?

……ほぼ通らないと思います。

単行本1巻も順番に読んでハマっていったのなら、やりきる熱意もあるかもしれません。
しかし現状は、ほとんど上記のような状況になった読者はすれ違い劇を完全には理解せずに「まあいいや」と飛ばしてしまうでしょう。



これこそが最大の問題点、

『放課後すとりっぷのすれ違い劇は、掲載誌「まんがタイムきらら」との相性が悪い』

ということです。




KRコミックスの4コマ漫画の単行本は、基本的に毎月18ページ分の13話分が収録されています。毎月1話ずつ雑誌に掲載していくにしても、刊行ペースは1年に1本となってしまいます。

つまり、単行本未収録分のストック期間は1年程度もあり、新規読者は簡単に追いつくことができません。



このようなバックグラウンドがあるKRコミックスで、11話が重要になってくるすれ違い劇を展開していては、さらに新規読者が追いつきづらくなります。

つまり、「すれ違い劇」というテーマは
KRコミックスの刊行ペースと相性が悪い、という風に捉えることができます。



この現象を一言で示すとしたら、

『多数のすれ違い劇を織り交ぜた一本のストーリーを、「きらら」という媒体で作り出すのは難しい』

ということになるでしょうか。



私は、放課後すとりっぷは最初から最後まで一本筋で読むからこそ、途中で積もってくるすれ違い劇が面白さに磨きをかけたと思います。
最終回を迎えた今では、このストーリーを追ってきて本当に良かった……と満足感が募るばかりです。

なので、決してすれ違い劇をテーマにしたのが悪かった、というわけではありません。
単純に追いづらかったから認知度も上がらなかった、ということだと結論づけました。





また、初めから読んでいるにも拘らす「途中から理解できなくなった」と感想を記している方を確認しました。

そういった方たちは、
すれ違い劇を楽しむための『会話する人物の特徴』『どういう状況にあるか』『誰が誰の何を誤解しているか』を理解せずに淡々と流し見していたり、
すとりっぷのシチュエーションやギャグなど他の要素だけを楽しんでいたりと、
すれ違いに関してあまり真剣に読んでいない、という所が共通していると思います。

あるいは読み込んでいたけど分からなかった、という意見もあるかもしれませんけど……



大手通販サイトAmazonでの単行本1巻のレビューにも、「中盤から人間関係がややこしくなって理解できなくなった」と記している方がいらっしゃいます。
記事の末端に1巻のAmazonのリンクを貼ってあります。実際に見ていただけると、語っていることがよく分かると思います。



確かにすれ違い劇は複雑ではあれど、毎回読み込めば分かる内容だろ?と私は思っているのですが…




このレビューを
『最大限楽しむために、しっかりと読み込んでもらうことが前提の作品だ』
という指摘として解釈すると、ある程度納得できました。



放課後すとりっぷは、

『すれ違い要素が綿密に組み込められていて、手軽に読むには敷居が高い作品である

という特性があります。



掲載誌であるまんがタイムきららのほかの作品を見ると、基本的にストーリーの起承転結は1話で完結しており、次回では新たな場面となっています。
場面が回を跨ぐにしても、2話完結型であったりすることが多いです。

放課後すとりっぷにも起承転結が1話で完結している回もありますが(18話等)、大体は大きな1本のストーリーの渦中にいる、という状況下にあります。

すなわち放課後すとりっぷは、ほかの作品と比べるとストーリー構成が異なるということです。



放課後すとりっぷをほかの作品と同じような感覚で読んでいくとしたら…

毎回毎回新たな場面から始まる作品と比べて、すれ違いが積み重なっているこの作品を簡単には理解できない、
という心理になってもおかしくない。

このような他者の心理を、客観的に飲み込むことができました。


ただ、「自分には分からなかったから」と言って高くない評価をしているのを見ると、理解しようともせずに読解力,追求心が低いアピをして、恥とせずふんぞり返っているような気がして、
きちんと評価してほしいと思う私は、これを見てやるせない気持ちになってしまいます。

私は単行本を購入したならばしっかりと読み込んでから感想を上げるのが当然だろ?というスタンスなので、こういった読者とは分かり合えないのかもしれません。




また、きらら無印にて連載している「奥さまは新妻ちゃん」は、放課後すとりっぷと近い時期にゲスト掲載、連載開始、単行本1巻発売をしています。

こちらも同じ時期の「佐藤さんはPJK」と共に、同時期の連載組としてきらら無印の若手として引っ張っていきましたが……

PJKと共に2巻乙となった代わりに、この作品は2巻乙を回避し、何度か表紙を飾っています。

同時期連載として、重版するほどに一番売り上げがよく、大衆に読まれている(たぶん)作品である「奥さまは新妻ちゃん」。
放課後すとりっぷとはまるで毛色が異なる内容だと思います。

きらら無印の購入層にこちらの方を支持する方が多かった、となると、
放課後すとりっぷの特性が肌に合わなかった、という方も多かったのかもしれません。

いや、わしは「奥さまは新妻ちゃん」の方が肌に合わないけどさ。一応毎回読んでるけどアンケに全力で2をつけてるし。寧ろ何であの作品が長く続くのかが理解できない。放すも当然のことながらPJKも好きだったのに。あんな作品に枠を渡した、という現実を認めたくない。こんな作品を次世代に推してくる無印にも心配してくるよ。てか無印にはゲストの多さとかで現在進行形に心配してるけどさ。もうなんかタイトルを口にするのも嫌悪感が沸く。まあこの嫌悪感は同時期だった放すが2巻乙されたことへの私怨が1145141919810364364%なだけだけどさ。作品にも罪はないけどさ?肌に合わないだけで。だけどネットとかで見ててもあの作品を評価してる層が分かんねんだわ。フォロワーが多いからたくさん買われてる?畜生が。買った人たち、本質とかしっかり見てる?

というわけで、



『放課後すとりっぷのすれ違い劇は、掲載誌「まんがタイムきらら」との相性が悪かった』
 『多数のすれ違い劇を織り交ぜた一本のストーリーを、「きらら」で作り出すのは難しい』

このような条件があったために、放課後すとりっぷは大衆に読み込まれなかった。



…と結論付けたいと思います。








……しかし、全てが全て『相性の悪さ』で片づけられるものでもありません。


この条件の悪さを少しでも和らげるような方法、

少しでも「読者が作中の情報に追いつけられる」ような工夫ができたのでは、と考えられます。



それは、『柱コメント』の活用です。

画像引用元:まんがタイムきらら2020年2月号 スロウスタート(p.30)


まんがタイムきらら系列の4コマ雑誌において柱コメントとは、紙面を開いた時の左右の余白に、コマ内とは別に記されている文章や絵のことを指します。

主にそのページに掲載されている作品のあらすじや登場人物の紹介が書かれており、基本的に単行本には収録されていません。

柱コメントは多くの作品にあり、雑な紹介もあれば細かく書かれた紹介もあり、個々別々なものです。



柱コメントの利点は、

・前回の内容や登場人物を知らなくても、柱コメントである程度詳細を知ることができて、人物やストーリー状況を汲み取りやすくなる。

という所にあると思います。



さて、柱コメントの説明をしていきましたが……ここからが重要です。



放課後すとりっぷには、柱コメントがありませんでした。

 つまりはこの柱コメントが無い事態が、

前回の内容や登場人物を知らない読者を置いてけぼりにしてしまう状況…

所謂「初見バイバイ」に拍車をかけていた、ということです。



 放課後すとりっぷは上記でも散々説明した通り、連載途中から読み始めた読者には完全には理解しにくい内容です。



 しかし、もし柱コメントで、

あらすじ,登場人物紹介に加え「誰が誰をどういう風に誤解しているのか」といったすれ違い状況などを随時記していたのなら。

より初見の読者や、状況を追いきれていない読者も理解がしやすかったのかな、

すれ違い劇の面白さを味わえる読者も増えていたのかな、と思います。







26話を走りぬいて、完結した放課後すとりっぷ。



若鶏にこみ先生は自身のブログで



『ものがたりの大体は(全てというわけではありませんが)
 幸福でも最悪でも、それの最高潮のところで終わる事が多いです。』
 『かなり嬉しいのです。
 私の中では「最高潮」の部分を記せたと思っていますし、
 つい寄り道が楽しくて、ギチギチではありますが、
 一応最低限必要な部分は全部詰め込めた……はず
 ……たぶん……おそらく……だいたい……と思っています。
 何より、正直初めはここまで長く描かせて頂けるとも思っていなかったので、
「最高潮」を皆さんにお見せできそうだ、と、めちゃくちゃ嬉しかったです。』



と記しています。




最終話となる26話で放課後すとりっぷの「最高潮」の部分を読者に見せてくれたこともあり、
2巻で完結した作品として非常に満足感があります。

そういった意味もあり私は、2巻乙してしまったことへの悔しさ,辛さ,やるせなさ等は薄れつつあるのですが……



もし、今よりもっと多くの人に読み込まれて、『27話以上』の構成になっていたら。

ほかにどんな寄り道をしていたのか、これ以上の複雑なすれ違い劇はあったのか。

また、この「最高潮」の先はどのような世界になっていたのか。



 ……というような「この世界をもっと見ていたかった」という想いが、未だに頭の中で渦巻いています。



それはさておき……




 というわけで、127日に発売される放課後すとりっぷ第2巻を買おうな!!!!!!!!


 まんがタイムきららweb 作品紹介ページ 放課後すとりっぷ 第2巻
 http://www.dokidokivisual.com/comics/book/index.php?cid=1574


 Amazon 放課後すとりっぷ 2巻(まんがタイムKRコミックス) 
 https://www.amazon.co.jp/放課後すとりっぷ-%EF%BC%92-まんがタイムKRコミックス-若鶏にこみ/dp/4832271547/ref=as_li_ss_tl?fst=as:off&qid=1577766107&refinements=p_n_publication_date:82839051,p_n_binding_browse-bin:86141051&s=books&sr=1-591&linkCode=sl1&tag=ama_cosme-22&linkId=b7c5df65da88ab5ca1d0ad61d02ec481&language=ja_JP




まだ第1巻を購入していない方がもしいたら、絶対に2巻とも購入してください。
2巻構成の作品として見事綺麗にまとめられているので


Amazon 放課後すとりっぷ 1巻(まんがタイムKRコミックス)

https://www.amazon.co.jp/放課後すとりっぷ-1-まんがタイムKRコミックス-若鶏にこみ/dp/4832270559/ref=tmm_other_meta_binding_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=1579073282&sr=1-1



 そしてきたるべき「春」には、若鶏にこみ先生の次回作が準備されています。
 次回作については若鶏にこみ先生から、放課後すとりっぷとは大きく路線が変わる、と直接聞かせてもらいました。おっぱいおっぱいした紙面ではなくなるらしいです。まあ
 どういう路線なのかは分かっていませんけれども…再び若鶏にこみ先生の作品を見れるという未来が確定しているので、ワクワクが止まりません。

 ただ次回作では、是非とも柱コメントも活用して、多くの人に読んでもらえるような環境を作ったほうがいいかなと思っています。


 口を出せるような意見はそのくらいかな。ぜひ!!




 そんなわけで次回作、とても楽しみにしています!!


 引用元:pm02:00 blog 放課後すとりっぷの話です 2019/11/27

 https://pm0200log.tumblr.com/post/189330529261


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